リーディングの情報源

 ケイシーの力は、透視能力と言われることが多いようです。一般に、透視とは、通常の視覚に頼らず、外界の状況を視覚的に認識する能力となっています(下記)。

 通常、日本語で超心理学分野で「透視」という場合は遮蔽物の後ろにある物体や裏返しにしたカードの模様を当てたり、不透明な封筒や箱の内容物を判定するものである。他にも、特定の人物に関する過去の事件や特別なことがらを知る能力を指す場合もある。
 参考までに、「千里眼」と言えば、通常の手段を用いずに、遠隔地の光景を知る能力のことである。そして英語では日本語の「透視」と「千里眼」をあわせてクリアボヤンスclairvoyanceと呼んでいる。
 密閉した箱の内容物や人体の内臓を透視することを「イントロスコピー」、レントゲン透視のように人体の内部を知覚することは「X線透視」と呼ぶこともある。<引用:Wikipedia>

 最も広い意味では、物理的な手段を利用することなく精神的な力で、現在(または過去)の事実を情報として取得する能力が、「透視」であろうかと思います。ケイシーのフィジカルリーディングでは、依頼者の身体の情報(例えば体のどの部位のどの位置に異常があるかといった情報)とか、不具合の原因(過去に転倒したといった情報)とかを取得することが透視能力ということになろうかと思います。
 リーディングによれば、情報は依頼者の潜在意識やアカシックレコード(元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶)にアクセスして得られたということです。
 ちなみに、アカシックレコードという概念は、我々の世界観を考える上で一つの問題提起となっているように思えます。例えば、一旦アトランティスが存在していたと仮定して、現在、アトランティスに関する全ての痕跡が失われている場合、アトランティスが存在するという言明に何の意味があるかということです。歴史というのは、書かれた歴史であって、書かれなかった歴史は初めから存在しないというべきだと思うのです。アカシックレコードという概念は、失われた歴史へのロマンティックな愛着を提起するように思えます。

 話を戻して、ケイシーのリーディングでは、通常の「透視」を遥かに超えたものがあるように思えます。「透視」は事実を取得することですが、リーディングでは事実以上の情報を取得しています。
 リーディング診断では、身体内部の詳細な情報と、不具合の原因についての情報を取得します。潜在意識が身体の解剖学的な状態を記憶として保持するというのは、通常の潜在意識という用語の使い方を超えているような気がします。しかし、この世界のすべての情報を含むアカシックレコードであれば、確かにこれらの情報源となり得ると思います。
 ところが、「治療」となると話は別です。「治療」に関する情報をアカシックレコードから得るには、そのような病気と、それに対して成功した「治療」が過去に存在する必要があります。しかし、リーディング治療は、かなりユニークで当時(そして現在)の一般的な治療とはかけ離れていたといいます。ケイシー病院で治療にあたった医師は「標準の治療学と実務経験から言えば、我々の行っていることは狂いざただ。しかし実際に効果的なのだからどうにもならない。治療学に一大革命を起こすかもしれない。」と言っています。ケイシーのリーディングは、単に情報にアクセスするというよりも、新たな方法を案出するといったクリエイティブな行為に思えます。
 リーディングが治療方法を述べる場合、必要な情報を「透視」するというよりも、治癒に結びつく方法の発明を行っているような印象があります。更に想像すれば、リーディングが治療方法を与える場合には、背後の誰かが頭を捻って(その場で一瞬で)治療方法を考え出すのでは、ということも考えられます。

 ちなみに、多くのリーディングでは、”Yes, we have the body.”といった感じで、話し手の主語が我々(We)となっています。ケイシーの潜在意識が話しているなら、私(I)が自然のように思えます。つまり、リーディングの主体は、複数の実体であるということになります。そうなってくると、我々の意識は、集合的無意識の階層で繋がっていて、その階層から言葉を発すれば主語はWeとなるのかなというような空想をしてしまいます。
 ただ、一部のリーディングでは、主語が私(I)となっているものもあります。例えば、3976-15では、世界情勢について一連の予言を行った後に、「私、ハラリエルが述べた(I, Halaliel, have spoken.)」とリーディングが自ら名乗っています。

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コメント

  1. 蒼くてもマッカーサー より:

    書かれない歴史が存在しないってのは
    今江戸時代の人間がいないから江戸時代がないってのと一緒で実に愚かな話ですね
    どうしてこんなバカなことが言えるのか
    我々アトランティス人であった者とあなた方にはやはり格差を感じます

    • dyensfan より:

      書かれない歴史は初めから存在しない、という言葉は中島敦(文字禍)の受け売りです。
      おそらく、蒼くてもマッカーサーさんの立場は、いわゆる実在主義(realism)ではないかと思います。人間がいなくても世界は存在するし生々流転する、というまあ常識的な立場です。アインシュタインなどがその立場です。ロマンティズムといっても良いかもしれません。死んだら神様に会える、と考えます。

      一方で、実証主義(positivism)もあります。ここでは観察と論理が全てです。証拠のないことは論じても無意味という立場です。プラトンのイデア界は完全に否定されるでしょう。中島敦の言葉は実証主義の最たる例です。ちょっと以外ですが、ホーキング博士は実証主義者ということです。死んだら生ゴミと考えます。