ライフリーディングの謎

 他に例をみないフィジカルリーディング(医療健康に関するリーディング)の高い信憑性によって、ケイシーの信奉者はリーディングのもたらす予言や彼岸の情報といったものも、同様に正確な情報であると信じました。これは全く無理のないことではあります。

 フィジカルリーディング以外のリーディングとして最も多いものは、ライフリーディングです。これは、依頼者の過去生から、人生の目的を知らせしめようというものです。要するに転生(生まれ変わり)やカルマに基づく、人生アドバイスといった感じです。リーディングが転生を扱ったということには、ケイシー自身が大変驚き当惑したと伝記には書かれています。特にクリスチャンの立場からすれば、受け入れがたい考え方だったようです。

 ライフリーディングのような不確かな事柄を論じるには、より厳密な議論が必要だと思います。Aの前世がBだといっても、Aの前世がCだといっても、そういった言明を除いて、何ら客観的な違いがないとすれば、転生は事実であるとしても事実でないとしても、違いはないとすべきだと思います。転生が事実だとすれば、現世は前世から何かを引き継がなければなりません。

 生まれ変わりというのは、死後も魂が残り、この魂が再度受肉を行うといったものとされています。この場合、よくわからないのはそもそも魂とは何なのかという点です。人体の解剖図をみても魂というのは載っていません。

 おそらく、魂の反対語は肉体というところでしょう。肉体の反対語は普通は精神なので、魂を精神と言い換えても良いのかもしれません。精神という言葉は普通に使われていますが、その実態はというと科学的には中々に扱いが厄介です。

 そこで、魂や精神といったものを記憶というもう少し客観的に調べられそうなものに置き換えます。生まれ変わりの実体は記憶だとしてみます。そうすると、肉体は変わっても、実体たる記憶は繋がっているはずです。しかし、明らかに事実はそうなっていません。我々は生まれる前のことを憶えていません。死んで忘れてしまえば、それで実体つまり記憶そのものが消滅するという理屈になります。要するに死んだら無というわけです。

 前世の記憶を憶えている人がいる、と主張されることもあります。シャーリー・マクレーンは、前世の記憶を思い出したということですが、そのような人は極めて少数です。我々のほぼ全ては、前世の記憶とは無縁です。

 どうも、転生が事実かどうかなどは、否定も肯定もできないもののようです。ということは、転生をあるとする立場と、転生はないとする立場との何れでも選択する自由を我々は持っているということになります。ブータンなどでは、国民は転生を信じているので、墓を作らないと聞いています。

 私の考えでは、転生は事実ではないと思っています。その点で、ケイシーのライフリーディングは、事実に基づかないものだと思います。もちろん、すでに述べました通り、これは証明も反証もできない事柄ではあります。なので、言い方を変えれば、私は転生は事実ではないとするのが冷静な立場であると思います。

 そう思う理由を書こうと思いましたが、余りうまくいきません。ただ、転生のメカニズムが実証されて、社会に反映され利用された場合、きっとこの世界は持たないのではないかと想像するのです。もちろん、そんな実証がなされることはあり得ないし、誰もそんなことを望んではいないと思います。なので、転生は事実ではないと思えるのです。

 それでは、ケイシーのライフリーディングはどういったものかという問題があります。私の考えでは、ライフリーディングは、ある種の表現手段となっています。依頼者への効果的なアドバイスをするに当たって、現生の問題点や将来の可能性(これはケイシーなら透視可能)を、過去生というパターンに投影するのです。過去生は反証不能なので、嘘というわけではありません。なので、現生に対応する過去生というものを仮定できるわけです。一方で、過去生やカルマといった考え方は容易に乱用され、現実社会において危険な側面があることは間違いないと思います。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする