仏陀の場合

 仏陀の生きた時代は、インド史の中でも様々な思想家が活躍した時期でした。その中には、次のような形而上学的な議論に熱中する思想家も多くいたそうです。

 この世界は常住か無常か(永遠に存在するか否か)
 この世界は無限か有限か
 魂は肉体とは別に存在するのか
 人間は死後も存在し得るのか

 仏陀の弟子の一人であるマールンクヤも、仏陀にそのような質問を行いました。これに対して仏陀は有名な捨置き(または無記)をしました。つまり、一切答えないのです。それに不満だったマールンクヤが意を決して詰め寄りました(*)。

「これが最後です。是非ともお答え願います。」

 それに対する仏陀の答えが、有名な「毒矢の譬え」であります。

 ある男が毒矢に射られて苦しんでいる。友人たちはあわてて医者を呼んで来て、矢を抜き、治療をしてもらおうとした。しかし矢が刺さった男は、その時、治療しようとする医師を止めて、こう言った。「矢を射た人間は誰か、王族か、バラモンか、庶民か、奴隷か。それらがわかるまでは、この矢を抜かせない。」

 仏陀は、そのような質問は目的にかなわないであろうと説きます。これについて断定して説くことを行わなくとも、生老病死は現存するではないか。現存する問題については、仏陀は断定して説くことを行うと主張します。

 この「毒矢の譬え」を聞いても、ひょっとするとマールンクヤは不満が燻っていたかもしれないと思いました。彼は、毒矢に射られて苦しんでいる訳でもなく、単に哲学趣味で興味があったので、知りたかっただけだったに違いありません。

 「毒矢の譬え」は有名ですが、必ずしも分かりやすくないように思えます。仏陀が捨て置きを行ったのは、仏陀の思想の核心にある無我と相いれないからだったのではないでしょうか。例えば、「死んだらどうなるか」という質問は、実は「彼が死んだらどうなるか」という質問ではなく、「私が死んだらどうなるか」という質問のはずです。彼が死んだらどうなるかなどということは、分かり切っています。何時も見ていますから。そうすると、質問が意味を成すには「私」という中心がなければならず、それは仏陀が否定したもののはずです。

*中部経典:マールンクヤ経

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする