今から2500年ほど前の古代中国で、魯や斉の宰相を務めた子貢が、師の孔子に死後の知覚の有無、あるいは霊魂の滅不滅について質問をしました(*)。
「死者は知ることありや? 将た知ることなきや?」
これに対して孔子は次のように答えました。
「死者知るありと言わんとすれば、まさに孝子順孫、生を妨げてもって死を送らんとすることを恐る。死者知るなしと言わんとすれば、まさに不孝の子その親を棄てて葬らざらんとすることを恐る。」
要するに、死者は知ると言えば、生きていることを疎かにするであろうし、死者は知らずと言えば、人は、先人を敬う事を止めるであろうが、何れにせよ非常に困った事になる、というわけです。
この答えに子貢は肩透しを喰ったような気がしました。子貢の聞きたかったのは、人は死んだらどうなるかということだったからです。
しかし、孔子は質問をはぐらかしたわけではなかったのです。おそらく、的外れな質問に対して、正面から回答したものと思います。これ以上の事を答えても、不確かで当てにならない答えになるでしょう。
その話を聞いた兄弟子の子路は、別にそんな問題に興味は無かったものの、師の死生観を知りたい気がちょっとしたので、ある時死について訊ねてみました。
すると、今度は面倒臭そうに「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん。」と答えました(**)。
*孔子家語:致思
**中島敦「弟子」